前にGTMマチュリティの記事紹介した『MOVE』をまだ読んでいない方向けに「MOVE」が何の略かに触れておくと、Market(市場)、Operations(オペレーション)、Velocity(加速・スケール)、Expansion(拡張)の頭文字であり、企業が成長する各GTMフェーズにおいて常に問うべき4つの要素を示しています。このうち現場でいちばん設計が甘くなるのが、3文字目の「V」、Velocity(いつビジネスをスケールさせるか)の仕込みです。わたしにはXactly日本法人の責任者としての顔もあり、コミッション設計についてご相談をいただくことも多いのですが、痛感しているのは「いざ組織をスケールさせよう(Velocityを高めよう)という段階になってからあわてて考えても遅い」ということです。今回は、このVelocity(スケールと加速)を実現し、「速く、正しく」売上を作るためのインセンティブ設計(報酬設計)について論点を整理したいと思います。
ベロシティ(スケールと加速)とは、前述のGTMマチュリティの記事で紹介したIdeation(アイデア)やTransition(移行)の段階を経て「売り方が再現可能になり、組織を踏み込んで拡大させる際の速度やタイミング」を指します。製品はすでに市場にフィットしており、受注率と平均契約額が読める状態になっている。このタイミングで会社は、「営業人員を倍に増やす」といった組織拡大の意思決定を下し、それを確実に機能させることで、次なる海外展開やエンタープライズ市場への参入といった「Expansion(拡張)」のフェーズへとビジネスを押し上げていきます。このVelocityを高める局面での最大の特徴は、打ち手の焦点が組織の立ち上げ「速度」へと移ることです。Transition段階で構築した「3四半期連続で目標(プラン)を達成できる」というビジネスの予測性を強固な基盤とし、Velocityでは「採用した新人がいかに早く一人前になるか(ランプ)」「チームがいかに一貫した顧客体験を提供できるようトレーニングするか(イネーブルメント)」という立ち上げの速度を最優先します。これは、飛行機が無事に離陸したあと、一気に高度を上げながら巡航速度へと加速していくプロセスに似ています。ここで人員の立ち上げや支援体制(イネーブルメント)が失速してしまうと、ただ人を増やしただけで組織は機能せず、調達した資金や膨らんだ人件費が一気に重荷になってしまうのです。
ビジネスをスケールさせる際(ベロシティを高めようとする局面)にありがちな失敗が、「数字が足りないから営業を増やす」という反応型(リアクティブ)の採用です。採用から受注貢献まで、営業難易度にもよりますが9〜12ヶ月かかることもあります。その場合、今四半期の不足を埋めるために採用をかけても、実際に効いてくるのは3四半期先です。
ここで失敗するパターンは、たいてい「Q1で目標未達」→「Q2で慌てて採用を増やす」→「Q3は新人のオンボーディングで既存メンバーの時間が取られ、全体の生産性が落ちる」→「結果、Q4の数字も未達」という悪循環です。こうなると、増やした人件費の重荷だけが残ります。Velocityを機能させるための採用は、「火が出る前に人を増やしておく(プロアクティブに投資する)」状態を作ることが大前提なのです。
そして、前倒しで採用した人たちの報酬は、この「ランプアップ(立ち上げ)期」を想定したインセンティブ設計になっている必要があります。ここが雑だと、優秀な人材ほど早く辞めてしまいます。入社から半年間も歩合が乗らない状態を、個人のプロ意識だけで踏ん張れるほど、いまの労働市場は甘くありません。
ランプアップ保証は、入社から一定期間(3〜6ヶ月)、歩合の基礎部分を保証する仕組みです。「月額ベース給与の80%に相当する歩合保証を3ヶ月間」といった設計が一般的です。これがないと、既存顧客を持っていない新人が最初の数ヶ月で稼げず、離職の引き金になります。 ランプアップ保証を導入した企業と導入していない企業で、入社6ヶ月目までの離職率に2倍以上の差が出ているケースもあります。保証のコストは、採用コスト(年収の数割)に比べればはるかに小さい。ベロシティ(スケールと加速)を実現すべく前倒し採用を回すなら、この保証は必須です。 保証の設計で注意したいのは、期間と金額の両方を有限にすることです。「6ヶ月で月給の80%を保証」が終わったあとは、通常の歩合プランに戻します。無限に保証すると、本人の成長努力が鈍ります。保証は採用リスクを吸収するためのものであって、達成プレッシャーをゼロにするためのものではありません。
組織をスケールさせるために営業を増やすということは、既存メンバーのテリトリーを分割するということです。ここの設計が一番もめます。「わたしが3年耕してきた顧客を、新人に渡すのか」という抵抗は、どの企業でも出てきます。 対策は二つあります。一つ目は、既存メンバーには「卒業アカウント」の歩合を一定期間支払う仕組みです。「過去12ヶ月で受注したアカウントの更新・拡大分は、今年度いっぱいは旧担当者に半分を配分」といった設計です。これで、引き継ぎへの協力インセンティブが生まれます。 二つ目は、テリトリー再設計のプロセスに営業本人を参加させることです。Xactlyで使っているテリトリー最適化では、売上ポテンシャル・既存関係・地理の3軸で割り振りを見せて、本人のコメントを取ります。完全な合意は難しくても、「ブラックボックスで決められた」という感覚を減らせれば、納得度は大きく違います。
SPIFFは、短期的・特定目的のインセンティブです。一気に組織を加速させる局面では、新プロダクトの拡販、新セグメントの開拓、ある四半期に集中したい活動など、通常のコミッションだけでは足りない場面が必ず出てきます。 例えば、ミッドマーケットに攻め上がる四半期であれば、「従業員100〜500名の新規ロゴ受注には、通常歩合に加えて10%のSPIFFを1四半期限定で支給」といった設計が効きます。SPIFFは金額よりも「期間限定」の設計が重要です。期間が長すぎると、通常歩合として織り込まれ、行動変化を起こせなくなります。 SPIFFの落とし穴は、乱発しすぎて「また別のSPIFFか」と現場が疲弊することです。Xactlyで見ているベストプラクティスでは、1四半期に走らせるSPIFFは2つまで、年間でも5〜6つまでに絞っています。絞るほど、個別のSPIFFの行動変化率は上がります。
組織のベロシティを高めるにあたっては、営業マネジャー以上の動きが成果を左右します。マネジャーが新人のランプアップに時間を使うか、既存メンバーの案件に張り付くかで、半年後の数字はまったく違います。 そこで効くのが、マネジャー報酬の「チーム連動比率」を上げる設計です。Transition(移行)の段階までのマネジャー報酬は、自分の直接売上が5〜6割、チームの達成が4〜5割という構成が多いのですが、Velocityを高めたい局面ではこれを逆転させます。チーム達成の比重を7割まで上げる。自分の直接売上は最大でも3割までに抑える。 この設計にすると、マネジャーは「自分が売るより、チームに売ってもらう」方向に時間配分が変わります。マネジャー報酬構造を見直した企業は、半期で新人の生産性立ち上がりが平均1.5ヶ月ほど早くなるデータがあります。マネジャーのテコが一番効くのは、実はこのスケールのタイミングなのです。
スケールに向けた報酬設計だけを直しても、人材育成がついてこなければ新人は育ちません。Velocityは人と教育とツールの3点セットともいえます。 具体的には、新人のランプアッププランを90日・180日・1年の3段階で作ります。30日目までに製品デモを自立してできる、90日目までに初回受注、180日目までに平均契約額の80%を達成、1年目でクォータに乗る、といった中間ゴールです。この中間ゴールに、前述のランプアップ保証がきれいに重なるように設計します。イネーブルメントには、セールスプレイブック、ピッチのスクリプトやオブジェクションハンドリング、競合対策、顧客事例集、プロダクトトレーニングの5点セットが最低限必要です。わたしがで見ていてVelocityを上手く高められる企業は、この5点セットが文書化されていて、新人が自分で回せる状態になっています。逆に「伸び悩む企業」は、属人的な口伝でまわしていて、先輩営業の時間がトレーニングに取られます。
一気に組織拡大へ舵を切る前に、確認するチェックリストを紹介します。
①過去3四半期のプラン達成率が連続で85%以上か?
これ以下だと、まだTransition(移行)段階の効率化が終わっていないサインです。
②ランプアップの中央値を数字で答えられるか?
「うちの新人は平均9ヶ月でクォータに乗ります」と即答できない組織は、スケールに向けた採用計画を作れません。
③マネジャー層の報酬がチーム連動になっているか?
Transition段階のままの構造で人を増やすと、マネジャーが疲弊して最悪の場合退職してしまいます。
④SPIFFの運用ルールがあるか?
「誰が、いつ、いくらで、何のSPIFFを出すか」を決める会議体がない組織は、SPIFFが乱発されて効かなくなります。
この4つが揃っていないうちに見切り発車でスケールしようとすると、採用した人が育たず、既存メンバーが疲弊し、マネジャーが消耗する三重苦になります。Velocity(速度)を上げるための準備は慎重に考えていきたいところです。
ベロシティは、気合いで速く走って上げるものではありません。「設計されたシステムが速く回る」状態を作ることです。報酬は、そのシステムの中核にあります。ランプアップ保証で入口を支え、テリトリー再設計で不公平感を抑え、SPIFFで行動を揃え、マネジャー報酬でチーム運営を強化する。この4つのテコが噛み合ったとき、組織は初めて「速く、正しく」売れるようになります。採用を増やす前に、まず報酬プランの設計をしておく。これが組織を加速させる上で一番高いリターンを生む投資です。
サイカワコーポレーション合同会社 代表社員
株式会社マルケト(現アドビ株式会社)にてインサイドセールス部およびゼネラルビジネス営業部を統括。営業組織改革、プロセス設計、マーケティングオートメーションを軸としたデジタルシフトを推進し、スタートアップから大手企業までテクノロジーを活用した収益組織の構築を支援。
株式会社みずほ銀行、株式会社リクルートおよび外資系IT企業にて10年以上にわたり法人営業に従事。外資系企業では営業・インサイドセールス・マーケティングを横断統括し、部門連携によるレベニュー最大化を推進。国内外でトップセールス・最優秀社員として多数の表彰を受ける。
2022年エンハンプ株式会社を創業し代表取締役、ゼロワングロース株式会社取締役CROに就任。RevOps構築およびGTM戦略設計を通じて企業の持続的なレベニュー成長を支援。営業モデル設計にとどまらず、パイプラインマネジメント、フォーキャスト高度化、部門横断データ統合を含むレベニューオペレーション全体の設計・変革を専門とする。日本におけるRevOps実践の第一人者として、レベニュー予測可能な組織モデルの普及に取り組む。
2026年2月、Xactly株式会社 日本GTM統括責任者(Head of GTM, Japan)に就任。2026年3月サイカワコーポレーション合同会社設立。
著書に『レベニューオペレーション(RevOps)の教科書 部門間のデータ連携を図り収益を最大化する米国発の新常識』(MarkeZine BOOKS)。