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新規売上を上げたければ既存顧客対応を強化すべし

written by

Erika Kawakami

Theme

Strategy

Date

April 6, 2026

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新規顧客の獲得コストは既存維持の5倍かかると言われています。既存顧客の維持にパワーをかける方が効率的に売上創出につなげることができるというわけです。今後CMOの主要KPIがCLV(Customer Lifetime Value)に移ると断言する人もいます。BtoB SaaS企業がこの構造転換に取り組む際に、欧米で課題になることが多いのは、営業組織が慣れ親しんできた「新規受注中心のコミッションプラン」です。今回は、わたしがXactly日本法人のGTM責任者だからというわけではないですが、CLVを伸ばすための報酬設計について紹介しようと思います。

A社とB社の違いは、解約1件か3件か

印象的な例をまず紹介しましょう。A社とB社は競合で、毎四半期ほぼ同じ新規ARRを積んでいます。違うのは、A社が各四半期に500ドルの顧客を1件だけ失っているのに対し、B社は3件失っていること。この小さな差が、年末には5倍のARR差になります。

A社はQ1開始時ARR1万ドル、各四半期で新規1,000〜3,000ドル、解約500ドル。Q4末のARRは1.5万ドル、純新規ARRは5,000ドルです。B社は同じ開始時ARRで新規は同額積んでいるのに、解約が三倍なので、4Q末のARRは1.1万ドル、純新規ARRは1,000ドルしかありません。

これは算数の話です。Churnが低ければARRは伸びる。そして、既存顧客の維持だけではなくChurnゼロ以下、つまりネットマイナスChurnの世界を目指すことで新規営業よりも効率よく成長を目指すことができます。既存顧客からのアップセル・クロスセルなどの拡大契約が、解約よりも速く伸びている状態です。そうなれば、新規を売り切るよりも、既存を伸ばすほうが圧倒的にレバレッジが効くということを示しています。

新規獲得コストは既存維持の5倍という前提

マーケティング分析のリサーチファームInvespによると新規獲得コストは既存顧客の維持コストの5倍という調査データがあります。今後は更に開いていくと考える方がよいでしょう。広告単価は上がり、リード獲得単価も10年前の水準から倍以上になった企業が珍しくありません。一方、既存顧客に向けたアップセル提案は、すでに信頼関係がある分、受注確度も単価も高い。

それなのに、多くの営業組織では、既存顧客からの売上拡大に対する報酬インセンティブが、新規受注に対するそれに比べて圧倒的に弱い。更新はCSの仕事、拡大は営業の仕事、と分断されたまま、双方に明確なコミッションがついていない。この構造のもとでは、組織の注意は必然的に新規に偏ります。

これは「マーケター全員の世界観がCLVに向かって転倒する」過渡期の典型症状です。指標の重心を変えたければ、報酬の重心も同時に変えなくてはいけません。

新規KPI偏重の構造

コミッションプランを並べると、共通する構造が見えてきます。AEと呼ばれる新規営業はNew ARRにアクセラレータ付き(達成率80%超から傾斜が強くなる)、既存営業であるAMはリニューアル額に小さなフラット%、CSMには契約数ベースの「上司の裁量ボーナス」しかない。こういう設計がいまだに主流です。

この構造のもとで「CLVを伸ばしたい」と言っても、現場は動きません。AEは新規を追います。AMは更新100%を目指しつつ、拡大には手が回らない。CSMは「解約防止」の守りに回り、アップセル提案は営業の領分だという文化が固まる。指標を変える前に、この報酬構造そのものを設計し直す必要があります。

報酬設計の4つのテコ

CLVを伸ばすコミッション設計には、4つのテコがあります。

一つ目は、CSMへの更新・拡大インセンティブです。「更新率95%以上で達成、100%でボーナス、120%でアクセラレータ」のような三段階設計が基本です。更新率には単なる継続率だけでなく、金額ベースのGross Revenue Retentionと、拡大を含むNet Revenue Retentionの両方を入れます。片方だけだと、値引きでの更新を容認する文化ができてしまいます。

二つ目は、AMへの拡大売上コミッションです。新規獲得に比べて歩率を落としすぎないことが大事です。日本企業では「更新だから楽でしょう」という前提で歩率を1/3や1/4にしている例が多いのですが、これでは拡大売上を作るための仕込み活動にリソースが回りません。新規と同等、もしくは高単価顧客については上回る設計を検討すべきです。

三つ目は、Clawback(歩合回収)の設計です。契約から6ヶ月以内に解約した場合、支払った歩合の一部を戻す仕組みです。短期解約を「売り逃げ」にしないための仕掛けで、質の悪い新規受注を抑えます。

四つ目は、ネットNRRベースのチーム連動ボーナスです。AE・AM・CSMの3職種に共通のボーナスプールを作り、四半期のNet Revenue Retention達成度で支払う。個人のコミッションとは別枠にすることで、「一緒にCLVを伸ばす」という行動を誘発します。

ネットマイナスChurnを支える組織の組み方

ネットマイナスチャーンを達成している企業には共通点があります。第一に、データが統合されていること。解約の兆候、利用頻度の低下、連絡先の退職といったシグナルが、AE・AM・CSMの全員に同じ画面で見えている。第二に、役割が明確に分かれていること。更新はAMまたはCSM、拡大はAMが主担当、ニューロゴはAE、といった線引きが曖昧だと、誰もボールを拾わなくなります。

第三に、報酬がその役割にそって設計されていること。拡大を評価するなら、拡大に歩率を置く。更新を評価するなら、解約を減らす行動にボーナスを置く。「文化」や「マインドセット」で動かそうとすると、半年は効きますが、次の半期のプランが配られた瞬間に元に戻ります。文化が数字をドライブするという考え方は否定しませんが、評価体系は文化より強いというのが、有識者と会話する中での実感です。

導入時の落とし穴:CSを営業化しすぎない

拡大売上をCSMのコミッションに紐づけると、CSが「小さな営業」化して顧客満足度が下がる、という懸念がよく出ます。これは実際に起こる現象です。対策は二つあります。

一つ目は、アップセル提案の「質」の指標をコミッションに含めることです。受注額だけでなく、提案した機能が顧客の利用実態に合っているか、提案後のサポートチケット数が増えていないか、といった品質指標を副次的に評価する。これで「とにかく売る」行動を抑制できます。

二つ目は、CSMと営業のロールを明確に分けることです。CSMは「利用定着と拡大の発見」、営業(AMまたはBDR)は「拡大契約のクロージング」という役割分担にすれば、CSMは発見に集中できます。全部をCSMに背負わせると、どこかが薄くなる、ということもありえます。

移行期の90日プラン

既存のプランをいきなり大きく変えると、優秀な営業の離職につながってしまうこともしばしばです。移行をするにあたっては、初月は可視化に使います。現在のプランで、新規・更新・拡大それぞれに支払っている歩合の総額と、それぞれから生まれているARRの比率を並べます。ここで多くの企業が驚くのは、「支払歩合の70〜80%が新規ARRに集中しているのに、新規ARRは全体成長の40%以下」という不均衡です。

2ヶ月目は設計に使います。現状の歩率構造を維持したまま、前述の4つのテコ(CSMへの更新・拡大、AMの拡大歩率、Clawback、チーム連動ボーナス)のどれを最初に導入するかを決めます。全部を一気に変えるのは避けるのが賢明です。欧米ではこの取り組みのためにまず「チーム連動ボーナス」から始めることが多いかもしれません。既存のコミッションに追加するだけで、行動変化が観察しやすいからです。

3ヶ月目は試験運用に使います。パイロットチームで新設計を走らせ、行動変化と受注の質を観察する。定性データ(何が変わったか、誰が困ったか)も合わせて集めて、次の半期で全社展開するかを判断します。

まとめ:指標を変えるなら、報酬を変える

タイトルに書きました「新規売上を上げたければ既存顧客対応を強化すべし」は、KPIの話ではなく組織設計の話です。CLVを伸ばしたければ、指標をCLVに変えるだけでは足りない。営業組織の報酬構造を、新規偏重から拡大・更新重視に組み替える必要があります。

日本では「報酬の変更は慎重に」という文化は分かりますが、変えないことのコストはすでに顕在化しています。Xactlyで支援している企業でも、報酬設計を変えたあとの半年で、Net Revenue Retentionが5〜10ポイント改善するケースもあります。指標と報酬を同時に動かす。これがリテンション経営の第一歩ではないでしょうか。

川上エリカ
Problem
Solution
Result

サイカワコーポレーション合同会社 代表社員

株式会社マルケト(現アドビ株式会社)にてインサイドセールス部およびゼネラルビジネス営業部を統括。営業組織改革、プロセス設計、マーケティングオートメーションを軸としたデジタルシフトを推進し、スタートアップから大手企業までテクノロジーを活用した収益組織の構築を支援。

株式会社みずほ銀行、株式会社リクルートおよび外資系IT企業にて10年以上にわたり法人営業に従事。外資系企業では営業・インサイドセールス・マーケティングを横断統括し、部門連携によるレベニュー最大化を推進。国内外でトップセールス・最優秀社員として多数の表彰を受ける。

2022年エンハンプ株式会社を創業し代表取締役、ゼロワングロース株式会社取締役CROに就任。RevOps構築およびGTM戦略設計を通じて企業の持続的なレベニュー成長を支援。営業モデル設計にとどまらず、パイプラインマネジメント、フォーキャスト高度化、部門横断データ統合を含むレベニューオペレーション全体の設計・変革を専門とする。日本におけるRevOps実践の第一人者として、レベニュー予測可能な組織モデルの普及に取り組む。

2026年2月、Xactly株式会社 日本GTM統括責任者(Head of GTM, Japan)に就任。2026年3月サイカワコーポレーション合同会社設立。

著書に『レベニューオペレーション(RevOps)の教科書 部門間のデータ連携を図り収益を最大化する米国発の新常識』(MarkeZine BOOKS)。

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